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米国でバンド - メンバー探し

ボルチモア

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この場所が、私のバンド生活の中心となる街になります。

 

聞いたころありますか、ボルチモア

 

どんなところかというと

 

港町ではあるんですが、奥へ入っていくとスラムが広がる治安の悪い地域です。

 

当時、NYCの治安が悪いといわれていた頃がありますが

 

そのNYCを抑えて、毎年治安の悪い地域1位を獲得していた街です。

 

Wikipediaでは

 

1960年代から施設の老朽化と主産業の構造不況によって中心地から人口が流出し、スラム街が発展し、治安の悪化が進んだ。そこで市は30年にもわたる再開発計画を実施、これはウォーターフロント開発の先駆ともいわれている。とりわけインナーハーバーの一新を図り、工業貿易とともに多数のレジャー施設を建設した。インナーハーバーには大型ショッピングセンターや全米屈指のボルチモア国立水族館、海洋博物館などがあり、活況を呈している。一方、肝心の中心地の空洞化は依然として深刻で、治安改善はさほど進んでいない。

 

と記されていますが、前半の

 

治安の悪化が進んだ

 

後半の

 

肝心の中心地の空洞化は依然として深刻で、治安改善はさほど進んでいない

 

はまさにその通りで、バンドの活動をしていたエリアは

 

タウンハウスの窓が板で打ち付けられて、廃墟のままになっているところは

 

要所要所に見られました。

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カーチェイスも目撃しましたし、銃声も聞こえましたが

 

銃声も頻繁に聞こえると、「またか」的な感覚になっていきます。

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こういう地域での振舞い方ですが

 

こぎれいにしないこと

とにかく目立たない服装をすること

 

身ぐるみはがされたという日本人の話も聞く中

 

17年間、帰国するまで、全く事件に遭遇しなかったのは

 

本当にラッキーだと思いました。

 

バンドメンバーの探し方

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高校でバンドを組んでいた時、

 

音楽雑誌のメンバー募集の欄とか

 

スタジオにビラが貼ってあったりとかありましたね。

 

アメリカも同じですが、スタジオにビラが貼って探すのが

 

一番近い人が見つかりましたね。

 

ネット経由で何人も試したんですが

 

バンドには向いていない人は沢山いました。

 

経験上、ネットで募集を出していて連絡が来る人

 

スタジオにビラを貼っておいて来る人

 

友人からの紹介でトライアウトするのと

 

どれが一番、自分たちの理想に近い人が見つかるかというと

 

紹介です。

 

やはり、自分達のスタイルをよく知っている人は

 

理想の音を持っていて、それにあっているだろうと思われる

 

候補者を紹介してくれるので非常に助かります。

 

または、スタジオでは、同じジャンルのローカルバンドと

 

友人になりますが、その友人が、どこかのバンドからボーカルが抜けて

 

今バンド探しているよ、という情報をくれます。

 

バンドから抜けた人の方が、場数を踏んでいるため

 

すぐにしっくりくることがあります。

 

最初は3人でボーカルなし

ボルチモア方面に引越しをしてバンドを始めたときは

 

まだバンドができていなかったんです。

 

でも、転学をした大学には、既に知り合いが通っていて

 

そこのアパートにルームメイトとして入りました。

 

その友人は、日本食レストランで寿司シェフとしてバイトをしていました。

 

そこで私も働いてみないかということで、バーテンダーで働き始めました。

 

アメリカのレストランには、日本ではあまり見ないと思いますが

 

片付け専任のバスボーイという人たちがいます。

 

大抵、安い給料で雇われ、ヒスパニックやメキシカン系が多く

 

バスボーイをしていました。

 

働き始めた日本食レストランにもバスボーイがいて

 

そこでブラジル人の若者が働いていました。

 

話をしてみると、メタルが好きで、ギターもパワーコードであれば弾ける

 

ということで、一緒にジャムったのがきっかけで

 

一緒にバンドをすることになりました。

 

一緒に組むようになって、ボーカルはいなかったですが

 

すぐにオリジナル曲を書くようになり

 

とにかく、ひたすら曲を書き上げていきました。

 

勿論は、私はドラムなので書けません。

 

曲だけをギターがどんどんと書いていきます。

 

前のバンドでキーボード担当していた友人に

 

ギターコードをなぞるだけのベースならたぶんできるから

 

やってみて、とお願いしたところすぐにできたので

 

ベースとして採用。

 

これでボーカル抜きのバンドの形態が出来上がりました。

 

しかし、ボーカル探しは難航しました。

 

なぜなら、なかなかうまい人は見つからない。

 

高校時代に聞いたりコピーしていたバンドは

 

モトリークルー、スキッドロー、Mr. Bigなど

 

メロディーのあるロックが多かったので

 

そういう人たちがあふれていると思いましたが

 

時代は違いました。

 

この時代は、スクリーム系ですが

 

メロディーはそれほど必要なく

 

ギターソロもなく、ローチューニングされているような

 

Nu Metalというジャンルが流行っていました。

 

今でも知られているバンドで当時人気が出てきていたのは

 

KornSlipknotなどです。

 

特に顕著に、一時期、ラップメタルのようなものが盛んに出てきていました。

 

limp bizkitなんかがいい例ですね。

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この時期に、ひたすらラップ系のメタルが出てきましたが

 

彼ら以上に人気出て残っているのはほぼいないですね。

 

そして、栄えあるボルチモアに上陸した後のボーカル1号は

 

パンクがベースのシンガーで、でもこのトレンドで

 

ラップ的に歌う人でもありました。

 

もともと昔のパンクの系列をバンド歴を持っていたので

 

メロディーを歌う人ではなかったです。

 

ただ当時の音楽には、まあ何とか近づけたかなというか

 

とりあえず、Venueでのライブをしたかったというのが

 

彼と一緒にやり始めた一番の理由です。

 

次からは、何度か変わるボーカルとボルチモアのVenueの紹介をしながら

 

当時のボルチモアの様子をお伝えしていきます。