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米国で働く – ゲーム開発会社編

米国で初めてのフルタイム

時間給で働いたのはいくつかありましたが

就労ビザを取ってフルタイムで初めて働いたのが

ゲーム会社でした。

 

VAにあるオーナー企業で

MMORPGというジャンルのオンラインゲームを

開発していました。

 

当時、ゲームは西海岸で多く作られているんだろうと

思い込んでいたので、自分の地元にそういう会社があることに

驚きました。

 

同時に、自分は昔からずっとゲームをしていた人間なので

これはきっと天職だ!と思った瞬間でもありました。

 

まずその企業が出したヒット作は1作しかありませんでした。

当時は、オンラインゲームとなると月額課金制であるのが普通で

今でいうサブスク業態です。

 

こういう業態は、一定数の課金者がいないとリスクですが

課金ゲームが複数存在するのであれば

不労所得に近いものがありました。

 

入社した当時は、1作目完成から暫く経過していて拡張版で

課金者のモチベーションを維持していましたが

次回作の開発を進めていました。

 

ところが、途中まで進んだところで、開発はストップすることになります。

 

オーナーが、開発中の新作は5つ星とは言えないということで

開発を中止したのです。

 

5つ星でなければ発売しないというのが

当時のポリシーでした。

 

MMORPGは1作作るのに何年かかかります。

もしサブスクがなければ

実入りが少ないまま数年を過ごさなければならないということです。

 

そのため、時間だけでなく人件費もかかるのです。

その費用を取り戻すため、一流の期待感を作り出さなければなりません。

 

食べ物だったら、おいしいと思えば

毎日買うか、一度に複数買いますが

ゲームは面白くても1個しか買いません。

 

なので、発売日までにティーザーなどをチラ見させて

期待感を最大化するマーケティングを実施します。

一気に期待が高まったところで発売をすると

一度に多くの人が購入するわけです。

 

家族みたいな会社

今まで同族会社にはいいイメージはありませんでしたが

ここは本当に家族みたいな雰囲気がありました。

 

居心地が非常に良かったし

会社に行きたくて仕方がなかった

そんな環境でした。

 

これまででこんな感情を抱いた会社は

一つもありませんでした。

 

新作を出せば、社員全員に無償で提供されます。

 

毎年拡張版が出ていたので、毎年何かもらえました。

それがクリスマス時期で

毎年クリスマスが待ち遠しかったです。

 

買収の話が持ち上がる

今のMMORPGの先駆けと言われていた当社のゲーム業態が

人気を博し始め、韓国を含め様々な国でも開発されました。

 

そこで当社に目を付けたのがEAです。

 

EAは、ゲーム業界のBig Playerですが

悪名もありました。

 

買収されたら会社がなくなる

 

そんな異名を持った会社でした。

 

EAには、当時似たゲームはありましたが

MMORPGを開発しているスタジオは

ありませんでした。

 

概ね、スポーツ、FPS、シミュレーションなどが主流でした。

 

サポートセンターも独自に持っていましたので

私がいたサポートセンターは、この買収が決まってしまったら

職がなくなる、とそう思いました。

 

しかし、話を聞いたのは、まだ検討中という話であり

決定ではありませんでした。

 

日本のゲーム会社も買収先の一つではありました。

まだ日本のゲーム会社に買収された方が

現従業員も守られたことでしょう。

 

結局、EAが買収をしました。

 

買収直後には何の変化もなく

しいて言えば、私が担当していた日本サーバーが

閉まることになりました。

 

それ以来、私は米国サーバーのテクニカルサポートを

担当するようになりましたが

私が雇われた大義名分は、日本サーバーの担当者。

 

日本サーバーがなくなった今、必要のない経費なわけです。

 

そこで、部長に呼ばれ、解雇を告げられます。

 

人生で解雇されることはないと思い込んでいたので

まさか自分が...という思いでした。

 

なぜかというと、米国サーバーを手伝ってからも

パフォーマンスは非常に良かったからです。

 

直属の上司も、非常にいいずらそうに話を打ち明けていました。

 

後日談で、彼とチャットではつながっていて

久しぶりと声をかけたとき

あの時、私を解雇してから、自己嫌悪に陥っていたとのことです。

 

寧ろ、切るべき人が他にいたにも関わらず

日本というキーワードだけで私を切らざるを得なかったからです。

 

EAによる買収後のなりの果て

まず当時300名以上の社員がいたと思います。

私の入社当時だけでも200は超えていましたから。

 

まずは、成功を遂げたMMORPGの所謂生みの親が

退職をしました。

 

その後、私が単独でレイオフになりましたが

その後、サポートチームも

テクニカルサポートチームは一掃されなくなります。

 

インゲームサポートのみ、自社とEAのゲームのサポートを

両方受け持つため存続していました。

 

創業者は二人いましたが、その中でもオペレーションを担当していた人物は残り

開発を担当していた創業者も会社を去りました。

 

その後、数回のリストラが断行されます。

 

その間で、別の開発会社と一つになり

名称が更に変わりますが

最終的に会社はなくなることになります。

 

ゲームはEAが持っているのでサービスは

継続していますが、開発会社は

買収した企業の中で跡形もなく朽ち果ててしまいました。

 

当時の関係者は、多くが別のベーム開発会社へと移り

活躍していると思いますが、Activision BlizzardのWoWが

人気を博したのも、当社が開発した前身が

その土俵を確立させたからに他なりません。

 

当社が当時抱えた課題を解決されたうえで

満を持して発売されたのがWoWです。

 

ただいい話としては

こういう淘汰があるおかげで

新たなプレイヤーが新たな王となり

業界の流れを変えていっているので

そういう意味では、十分貢献したのだと思います。

 

当時は、月額課金からアイテム課金へ韓国勢は移行していた時期です。

もしアイテム課金へ移行していたら

かなりのユーザー数を誇っていられたと思います。

 

所謂、サブスクが今のインフラになっていますが

当時は先駆けです。

その先駆けの中でも、既に時代遅れになっていたわけです。

 

それが原因かどうかは分かりませんが

いずれにしても、世の流れにいい意味で逆行するのは

しんどいけど勝利に結びつく可能性がある。

 

しかし、今までのトレンドが変わっていく中で

過去のこだわりをぬぐえないまま進むと

暫くは、今まで通りに楽をできますが

あるとき、突然足をすくわれるといういい例だったのかもしれません。

 

私にとっては、初めてのフルタイムをくれた場所として

今でも心に深く刻み込まれています。

 

このフルタイムにつくまでに

1年半のバイト時代があったわけです。

 

この会社に入ったことが、後に永住権を取れるきっかけにもなり

業界問わず転職が可能になりました。

 

日本に帰国してから、解雇勧告を受けても

落ち込まず強気で次へ進む精神力を貰えたのも

もともとのきっかけは、この会社のお陰です。

 

そういう意味で、RIPを捧げます。