英語のコツ

留学と海外生活の経験を共有します。

海外生活したいなら - グローバルな人間になるの意味を理解する

期待する元は、親でも企業でもどちらでも共通していると思います。

 

期待するすべきことと、実際にどんな結果が返ってくるかが合わないと思っている人がいれば、期待するものに間違いがあるので、ここで一旦確認をしてみてください。

 

経験した人間としての結論は、

 

視野の広さと柔軟な思考力

 

これだと思います。

 

留学した選考にもよるかもしれませんが

 

学校からの影響よりも、生活からの影響の方が絶対に大きいです。

 

期待してがっかりするパターンの代表例は

 

英語の上手さ

 

これには、皆、だまされてしまうことも多いと思います。

 

英語ができて、ディスカッションも論理的に相手を論破または納得させられる人もいます。

 

それが一番ベストな例ですが、どこに行っても見られる事例ではありません。

 

どこでも見られる事例は、

 

話し方も発音もネイティブ並み、主張も強い、しかしビジネスミーティングの場ではおとなしく意見が出ないか、発言した内容がトピックから大きくそれている

 

これは、どこでも一人は見かけます。

 

それを嫌がって、帰国組を好きではないという人も多くいることでしょう。

 

英語が話せることは重要ですが、最も重要なことは

 

英語で伝えなければいけないことを伝え、相手がその内容を理解した上で、賛成なり反対なりの話し合いができること

 

です。

 

英語が話せないことを気に病む人がいます。

 

気持ちは分かりますが、「何を話すか」が職場では重要

 

プライベートでのリーダーシップを発揮ししたい場合でも、「何を伝えるか」で人がついてきてくれるかが決まります。

 

日本はグローバル化はしていないと思われる理由

外国語を話すことは文化の一つ

簡単に言うと、言語はスキルと考えると覚えが遅く、早く覚えても中身の薄いもので終わってしまいます。

 

母国であっても同じです。

 

一番わかりやすい例は、漫才のネタでしょう。

 

ボケが受けるのは突っ込みがあるからです。

 

でも突っ込みの内容も、突っ込んだ内容の意味が分かるから笑えます。

 

この内容の意味の個所は、その多くがその時期のトレンドだったり文化的な背景だったり、皆が当たり前のように知っている内容が多いです。

 

外国人に漫才の内容が分かりにくいとしたら、突っ込みの内容が、どう突っ込みになっているのかが分からないからでしょう。

 

留学中映画館で映画を見ていた時、周りの人が爆笑していました。

 

しかし、私には笑っている意味が分からなかった。

 

留学時代は、英語自体が分からないからだと思っていました。

 

大学を卒業し、社会人になって米国で12年間働きました。

 

それでも、ジョークで笑うことは数回くらいしかなかったと思います。

 

ここでも、英語が分からなかったという理由がまだあります。

 

それよりも、オチ(Punchline)で、「それって笑えるの?」って思えることが多かったです。

 

つまり、オチになっているのは、生活でよくあることが多く、誰もが知っている常識のようなことがもとになっていることが多いです。

 

となれば、オチを理解するためには、文化的背景が理解できなければ、分からないでしょう。

 

海外に長く住んでいると、日本の普通が意識から薄くなり、今住んでいる国の普通が意識に色濃くなってきます。

 

そうなることで、より言語の通訳にその裏の意味まで伝えることができるようになるわけです。

 

そういうわけで、通訳というのは、英語が分かるという能力だけでは不十分で、日本の文化背景も十分すぎるほど分かっており、なおかつ通訳する外国語が共通言語となっている国の文化に精通していないと、良い通訳にはなれないでしょう。

 

 

話し言葉は英語、考え方は日本古来の考え

 

これは決して間違ったことではないと思います。

 

いい例から話しましょう。

 

大和魂が強い人もいるでしょう。

 

アメリカに在住で英語を話して外国人の友人も多い友人がいました。

 

その友人は、大和魂が強く日本も大好きだった。

 

それでも、片方を毛嫌いするわけではなく、両方ともそれなりに大好きという人でした。

 

その友人は、英語圏以外の国の仕事もするようになりました。

 

英語をネイティブ並みの発音で話すわけでは決してなかったその友人は、それでも、海外のクライアントから非常に慕われていました。

 

まるでプライベートの友人のように。

 

これは、言語がスキル的に上級クラスでなかったとしても、多国籍の方から信頼を得るいい事例です。

 

相手に好感を持ったり信頼ができるときは、共感できたることが重要。

 

共感させるためには、相手の生活文化や考え方をよく知る必要があります。

 

彼は、それをよく知っていました。

 

では、よくない例を説明します。

 

この事例は、どこにでもあります。

 

特に中小企業規模で海外との取引がある企業、海外に法人を持っている企業です。

 

外資系の法人社長が日本人の場合、日本人社長がグローバルの指示を軽視しているパターン。

 

心の底では全く信用しておらず、グローバルの指示を上手くかわして、日本古来の文化で法人を回しているパターン。

 

グローバルでは、訴訟を起こされるリスクを回避しようとしている。

 

しかし、海外本部がそれほど敏感になっていても、日本ではお構いなし、訴訟はほぼ起こされないと、リスクを軽視している企業は多いです。

 

中小企業の上役に、こういう気質の方が多くいる。

 

行動規範を違反している管理職を沢山見てきた。

 

全て日本で起きたことです。

 

それを本部のコンプライアンスに報告したことがあります。

 

違反は、指定した人の違反は見なくなりましたが、いじめ気質な執拗な叱責文化は今でも組織で継続して起こっています。

 

 

合理的ではない

簡単にいうと、ショートカットできることを、ショートカットしないというのが結論です。

 

海外では、要するにこういうことでしょ、っていうやり方へ変えていくのが、私が海外で学んだこと。

 

帰国して目の当たりにしたのは、要するにこういうことでしょ、ってその人たちも分かっているけど、昔からこのやり方だからそのまま継続しているということが多すぎる。

 

稟議のハンコ、何人にも回すところ、なんちゃって外資でもこのようなことは国内企業と同じような流れで続いています。

 

実際に起きた矛盾する稟議プロセスに関して紹介します。

 

イベント出展の稟議が部長の承認で通りました。

 

代理店を通してイベントの準備をし始めました。

 

イベントが近づくと、イベント実施について部長が「聞いてない」と言い始めました。

 

稟議書を確認すると、部長の承認印が付いてます。

 

部長は、それでも「聞いてないから知らない」と言い続けます。

 

こういう部長もいるのです。

 

認印を押して回付するのは、自分一人が承認したわけではないという責任リスクの分散にすぎないと思っています。

 

でも本当は、その施策に関与する責任者は一人であることが多いです。

 

私は責任者が承認すれば、それでいいと思います。

 

勿論、複数に回付することで、確認事項の見落としに気が付くことはできます。

 

でも、その金額が1万以下でも、この稟議書を回付しないといけない組織もあります。

 

10万以下は稟議不要、という会社は多いかもしれません。

 

でも、稟議はある意味、責任を最後の承認者に転嫁するようにも感じます。

 

途中で承認したくない案件だと思ったとき、社長が承認をしてしまったら、社長がいうならまあいいか、と思う人ばかりではないでしょうか?

 

であれば、承認の相手は最初から社長一人でいいのではないのでしょうか?

 

施策の目的は、実施して効果を最大限に生かし、利益の拡大を図ることですが、決して少なくない組織の中で、稟議が面倒になるからと、稟議前に止めている上司は多いのではないでしょうか?

 

Over Analyzed(考えすぎ)実行を妨げます。

 

勿論、大金を使うのであれば、よく考えるに越したことはありません。

 

しかし、どんなことにもマイナス面があります。

 

そのマイナス面があることで施策を見合わせると、何を考えても見合わせる結果になります。

 

責任を後でとらされるなら何もやらない

 

とする幹部が多い組織はリスクの塊なので早急に対処しましょう。

 

日本でしか通用しないことが多すぎる

 

海外法人で社長を務めてうまく成功を収めた外国籍社長も、日本の担当となると、必ず一度は躓くという話を聞きました。

 

逆にいうと、日本市場を、その後の昇進判断の材料とする企業もありました。

 

誰もが躓く日本市場で成功を収めた人は、どこでも成功を収められる可能性があるという代名詞になっているということだ。

 

躓くということは、他の国で通用したことを一度実施して全く効果がなかったということです。

 

そこで、そのまま現地社員の信頼も損ねたまま、退職する経営者もいたり、早い段階で別の国へ回されるケースも見てきた。

 

海外では、マスマーケティングが比較的効果をなしますが、日本では必ずしもうまくいくわけではないことが多いです。

 

地域性は、どの国でもあると思うのですが、日本では、その地域性が露骨出ると思います。

 

そのため、ピンポイントでピンポイントな施策をするのが意外とうまくいく市場です。

 

効率は悪いですよね。

 

お金はかかりそうです。

 

こういう国民の性質がグローバル化を阻んでいるとも言えます

 

ある意味、世界から取り残されてしまいます。

 

海外で簡単に受け入れられるものが

 

日本では受け入れられないとなれば

 

世界は日本を置いて先に進んでしまうのではないでしょうか?

 

同様に、日本の製品は、どの国でも同じ程度重宝されるものでもありません。

 

国内需要重視で作られているので

 

海外の人が必要としない機能がてんこ盛りでコスト高になった製品は

 

海外では割高な嗜好品玩具になってしまい売れないのです。

 

グローバルを意識するなら、メインの製造を海外仕様にして

 

国内だけ何かを追加するというやり方をするしかないと思う。

 

機能を増やせばコストも高くなり、競争できなくなります。

 

質がよければ必ず売れる

 

そう信じることをやめないのが日本人。

 

寿司屋がいい例です。

 

腕のいい寿司職人が米国で寿司屋をはじめましたが、

 

レストラン営業をしているとき、経営に苦しんでいるのは根っからの寿司職人

 

結局、見よう見まねでなんちゃって寿司を握っている中国人、韓国人経営の

 

寿司レストランが増えてしまい客を取られているなんてことは多いです。

 

勿論、日本人のお客さんは日本人の職人のところへ行きますが

 

永住や中流階級までの外国人は、シェフの国籍が何人家は関係ないです。

 

日本でしか通用しないのは、

 

グローバル的に後回しにされやすくなるリスクもあります。

 

考え方をシフトさせましょう。

 

日本の良さは、古来の考え方に限らないはずです。

 

海外の人が住みたいと思う国とは異なる

結論が言うと、日本人でも住みずらい国です。

 

当然、海外の人もそれ以上に住みずらいと考えるかもしれません。

 

株に投資している人からすれば、日本株が100株からしか買えないのが多い時点で

 

日本は投資される企業として、資金調達機会を逃しているとは思いませんか?

 

YouTubeでこれだけ証券会社の営業マンから買うな、というような配信が増えて

 

さらに多くの新規投資人口も、まずは米国株からという人は

 

多いのではないのでしょうか?

 

でも、技術それだけを見ると、日本の技術者の技術力は高いでしょう。

 

世に出ない理由の一つに、資金が集まらないんだと思います。

 

上場するところまで行った後、一株から投資ができたとしたら、

 

少なからず、もっと資金を集められるチャンスには恵まれるはずです。

 

前職の社長は、私が入社してすぐに退職されたのですが

 

日本に来る前は中国にいたようです。

 

退職される前に、中国と日本では、どちらの方が合理的かを聞いたら

 

圧倒的に中国だと言っていました。

 

まず、英語をもっと多くの人が話すそうです。

 

なので、普段の生活でそれほど、会話に不自由がなかったとのこと。

 

テクノロジーの導入も日本より進んでいるとのことです。

 

日本では、国内に住んでいれば、中国バッシングが多いです。

 

しかし、これは米国にいたときからですが

 

先ほど言及した寿司が米国で広まったのは

 

なんちゃって寿司を展開してくれた中国人、韓国人のおかげで

 

寿司が広まり、健康食品としての地位を得ることができたのです。

 

日本人職人の力では、広めることができなかったのです。

 

こだわることは大事。でも考えすぎて、また費用対効果を重視するあまり

 

目先の利益を維持している間に、見えないところで競合が大きくなるのを見過ごした

 

という事例ばかりが散見されました。

 

TVの家電然り、寿司レストラン然り、レクサスですらアメリカ人は

 

アメリカの車と思っている人が多かったです。

 

レクサスは売れていましたけどね。だから、これは成功事例ですかね。

 

アメリカのものと敢えて思わせたのかもしれませんね。

 

いずれにしても、海外に製品が売られている=グローバル化ではないので

 

本当のグローバルを迎える日がいつになるのか見てみたいです。