英語のコツ

留学と海外生活の経験を共有します。

留学2年目 - 米国で初めてのライブ

日本食レストラン

はい、今思えば本当によくやったなと思うほど

 

恥ずかしくてあまり言いたくない歴史の一つがこれです。

 

バンドをやめるときにやっていた音楽がメタルだったのに対し

 

一番最初のライブというか、お披露目というんでしょうかね。

 

本来休日の日の夜に知人だけを集めて

 

ライブをする場所として提供してくれました。

 

もともとは、知り合いにバンドをやっている方が別の大学にいて

 

その人がそこでライブをするということを

 

私のバンドのメンバーが情報を教えてくれました。

 

何でも、一緒にやろうといわれたらしく

 

私のバンドは所謂、前座ですよね。

 

全部、日本のバンドのカバーでした。

 

メインの友人のバンドは、オリジナルです。

 

正直、このライブを終えたあたりから

 

自分たちもオリジナルを書いていくことになります。

 

でも、そのオリジナルのジャンルがバラバラでした。

 

ポップなのもあれば、メタルチックなのもあり

 

そういう意味では、確実に売れることはないバンドの形をしていました。

 

その前に、日本人だけで結成したバンドを

 

終えることになります。

 

自分の中では、このバンドでレコーディングも初めて行ったし

 

何でも初めての経験をしたのは、この日本人だけで結成したバンドだった。

 

でも、オリジナルを作っても、注目を浴びられないという

 

確固たる自信がありました。

 

でも、なかなかそれを言い出せずにいました。

 

そんな折、ボーカルとのいい感じで確執が生まれてきて

 

歌は上手くなかった方ですが

 

「音楽性が違うからやめるわ」

 

と言ってくれたのです。

 

がっかりした様相を見せながら

 

「そうか、それは残念だね。でも、今までありがとう」

 

的な返しをして、心の中では

 

「よし!これからだ!」

 

という光がさしてきました。

 

結局、当時のメンバーで結成したバンドは一旦ばらけることになります。

 

それは、大学の卒業があったからです。

 

ベースの人は、医学生だったのですが、本土のメディカルスクールに

 

面接で落ちてしまったことで、その大学と連携している系列の医学部で

 

更に勉強をし、次のメディカルスクールの試験に備える道へ進みました。

 

ギターは、卒業後、西海岸の大学院に行ったと思います。

 

キーボードは、既に現地で就職をしていて

 

私は、転学をすることになり、当時いた大学から車で1時間離れた大学へ

 

引っ越すことになります。

 

ただ、バンドはまたやりたいと思い

 

既に就職していたキーボードの友人のアパートに置かせてもらうことになりました。

 

転学後、本格的にアメリカ人とバンド活動を始めることになります。

 

この期間が自分の人生にとって今の自分を作り上げた最大の要因となる

 

期間となります。