留学2年目 - 念願の米国でのバンド活動
初めてかなった自分の小さな夢
留学して勉強をしたかったことは大きな理由としてあったのは確かですが
高校からずっと続けてきたドラムを
アメリカでやりたいという思いが強くありました。
バンドを組みたいという強い思いがなかなか離れなかったです。
そこで1年を過ごし終える前だったか、終えた後だったかそのあたりに
自分を含めた日本人三人で、ボーカルのないバンドを結成し
私がドラム、他の二人がギターとベースで
大学のMusic Scoolのスタジオを借りて
リハーサルをする日々が始まりました。
全てコピーで、耳コピです。
ほぼメタルのバンドをコピーしました。
その時に、ツインペダルとスティックだけを楽器屋で購入し
それを背負って地下鉄にのり、スタジオに通いました。
大学のスタジオは、基本的に個人レッスン用のスタジオのため
3人入ったらキツキツでした。
都度、ウォークマンを使ってレコーディングをして
自己満足の日々でした。
アメリカでバンド活動は確かに夢だったし
これである意味、叶ったといえば叶いました。
でも、これではまだ夢をつかんでもいない。
次に思ったのは…
ライブがやりたい
ライブをやるには、ボーカルが必要だ、と当時は思いました。
でも今考えれば、インストでも十分良かったかもしれないとも思いました。
自分の夢に少しでも近づくために
ボーカルを見つけることにしました。
その前に、このバンドの件を知った他の人がキーボードとして加入し
ここで初めて車の移動が可能となりました。
まずは、キーボードの女性が歌も歌えるということで
女性ボーカルのバンドをコピーするようになりました。
今時点では、まだ日本のバンドのコピーバンドです。
ただ、リハーサルスタジオが、大学の個人レッスン用から
スペースのあるスタジオにアップグレードしました。
といっても家の一角をリハーサルスペースとしているだけのスペースで
当時そこに住んでいたDC出身のそこそこ名前のしれた契約ミュージシャンが
リハーサルに使っていた場所なのですが
使っていない時間帯を、一般に貸し出していました。
そこが毎週末の練習に使うルーティンの場所となりました。
ボーカルが入る
この場所を見つけた時点で、そろそろボーカルを入れて
リハーサルをするようになりました。
まだカバー曲ばかりをやり、まずは初めてのライブをどこかでやることを
目標に練習をしていました。
当時のボーカルは、カラオケだと普通に歌えるけれど
バンドになると声が聞こえないタイプで
この時に改めて、バンドで歌うのとカラオケで歌うことの大きな違いを感じました。
基本的にカラオケは自分の声と音楽が両方聞こえます。
バンドとなると、モニターアンプから十分に音が出ていなければ
自分の声が聞こえなかったり、楽器のどれかが聞こえないことがあります。
スタジオではまれですが、スピーカーが客席に全面的に向いている
ライブ会場では、本当に聞こえません。
その中で、自分の音程を保つのは難しく、プロになる人は、それができるのです。
ちょっと物足りなかったけれど、とりあえずレコーディングやライブができる
状態になったので、その時は、これで良しとして続けることにしました。